青い森701系の解説

2021年2月20日

概要

 青い森701系は2002年に東北新幹線が八戸まで延伸したときに青森車両センターから701系1000番台を譲渡する形で登場した電車である。2020年現在では2両編成9本が活躍しており、全9編成が機器更新車である。現在の編成表は以下のとおりである。

※編成番号は存在しないため「-」表記としている。
※色で塗りつぶした部分はJR時代の車番である。

移管された時の暫定開業時

 青い森鉄道は2002年に目時~八戸間をいわて銀河鉄道と直通運転する形で暫定開業した。元々JR東北本線だったこともあり、車両はそのまま701系を使用することとなった。その時に新造車1編成とJRから1編成を転籍し、計2編成体制で運用が始まった。当時の編成表は以下のとおりである。

※編成番号は存在しないため「-」表記としている。
※色で塗りつぶした部分はJR時代の車番である。

 101号機は移管時に新造された車両である。当時は車体に大きなモーリーの絵を描いたデザインではなく、紫帯だった部分を青帯に塗り替えて走らせた。その後、2010年に全線開業したとともに、塗色変更をし、車体に大きなモーリー(青い森鉄道マスコットキャラクター)が描かれるようになった。1両につき13体いる。

車体に描かれたモーリー

 また、この時に譲渡された車両の機器更新はJR車両に比較して5年ほど遅い。これは、当時の青い森鉄道が開業したばかりで、資金繰りに困っていたためである。また、いわて銀河鉄道とともに開業したと同時に、2社の境界駅である目時駅が無人駅になったため、目時駅を通る電車は全列車いわて銀河鉄道に直通する。そのため、盛岡~八戸まで抜けるだけで3000円を超える高額な運賃が請求される。青い森鉄道が全線開業するまではいわて銀河鉄道と共通運用を組んでおり、青い森鉄道の車両が北上や花巻などへも直通していた。

JR時代の名残

 701系のうち元JR車両であった編成には、名残がある。行先表示機が一番わかりやすい。この行先表示も実は珍しく、JRが開発した車両なのに、国鉄書体で行先が書かれている唯一の電車である。また、元青森車両であるため、101編成以外の方向幕を探ると、一ノ関、北上、花巻、盛岡、蟹田、三沢シャトルなどJR時代に走行していた表示がそのまま残っている。それ以外にも様々な箇所で残っており(IGR車も同様)、側面の窓横にJR社紋の跡や、側面上部には紫帯の剥がした跡、前面貫通扉下の渡り板にも旧車番が書かれていたりする。また、車内の車番も上から貼り付けただけなので、うっすらと透けて見ることができる。内装デザインは椅子や床の更新を何もしていないため、JR当時の内装がそのまま残っている。ちなみに内装は、元青森車共通のため、青い森701、盛岡車の701系と同じである。

 JR時代は紫帯の701系で、現在の盛岡車の701系が元の姿である。定期運用では全列車が2両編成なので、増結することはないが、何らかの試運転の時は4両や6両で走ることもある。なお、検査入場時は郡山車両センターか秋田車両センターまで自走する(検査類はJRに委託しているため自社ではできない)。

JR時代がそのまま残っている行先表示機

転用後の改造など

 青い森鉄道に全車が譲渡されてからも、車両にわずかな改造などが施されている。
 2014年には、直通先のIGR線において日中のみ車内メロディーが流れるため、それの対応工事を701系にのみしている。2015年には1号機と101号機において、当時JRの701系で行われていた機器更新とスカートの変更が行われている。2017年からは、床下ドア前部分に(JRのE233系のような)黄色の案内ブロックを設けた。さらに2018年末~2019年始にかけて、テールライトをLED化し、クリアな色になった。そのため、少々違和感がある。さらに2019年夏ごろから座席の取り換えが行われていて、紫色だった座席が青色になっている。また、座席部に手すりが増設されている。同時に青い森701号車(青森方先頭車)の優先席を車端部へ移動している。
 このように青い森鉄道になってからも701系は幾度となく何かしらかの更新が行われており、第三セクターとしては珍しい。

編成ごとの差異

1~8号機

 1994年にJR東北本線の701系1000番台として登場した車両で、全車が川崎重工製の車両である。全車が青森車両センターに配属され、一ノ関~青森間を走行していた。その後、新幹線開業によって青い森鉄道に転籍したグループであり、青い森鉄道保有車両の大半はこのタイプである。行先表示機がJR時代のままのため、幕式である。全車がロングシートで登場したが、機器更新時に2~4号機のみクロスシートに改造されている。2~8号機はJR時代に機器更新を終えており、青い森鉄道全線開業時には1と101号機のみが未更新車であった。そのため、更新前後の車両の比較などがみられて興味深かったが、2015年には1と101号機も更新が完了し、現在の姿となる。

行先表示機は幕式

101号機

 101号機は、青い森鉄道が開業した2002年に追加増備車として川崎重工で製造された。種車は701系の1500番台であるため、元々屋根上の抵抗器箱が存在しない(元JR車も更新時に抵抗器箱を撤去したため現在は同じ見た目)。701系とはトイレの位置が違い、運転席後ろに配置されている。性能面や機器類に差はないが、JR時代の走行経歴がないため名残というものは何もない。また、転用車と区別するために車両番号は101から付番されている(IGRも同様)。青い森鉄道には2両編成1本のみの珍しい存在である。また、唯一側面行先表示機がLED式となっている。さらにこの100番台に関しては青い森701系では唯一のUVカットガラスを採用しており、窓ガラスが緑色になっている。

行先表示機はLED式

運用

 走行区間は基本的には青森~八戸である。2運用ほどいわて銀河鉄道に乗り入れる運用があり、片方は二戸まで、もう片方は盛岡まで全区間乗り入れをしている。時間も決まっていて1日2往復が設定されている。このため目時~八戸間は、青い森鉄道を名乗っているが走ってくる大半の車両はIGR車両である。

 有人駅は八戸、三沢、野辺地、浅虫温泉、東青森、青森のみである。また、運用上駅構内の留置は存在しない。浅虫温泉の終電は青森まで回送、三沢の始発は八戸から回送する。また、IGR線内の小鳥谷始発の電車は青い森車で運用するため、早朝に八戸から回送される。

 西平内~浅虫温泉の区間は東北本線全線を含めて唯一海岸線を走る区間がある。また、野辺地駅には日本最古の防雪林が存在するなど、地味な見どころが多い。さらに青い森鉄道はほぼ全区間にわたり平坦な土地を走っているため、直線が多い。よって高速で走ることが基本である。トンネルも数か所存在するが、目時~三戸を除き全部が複線トンネルである。

 野内駅が東日本大震災によって移転したことにより、野内、矢田前、小柳、東青森、筒井(青い森鉄道になってから開業)が4駅連続で首都圏通勤電車並みに駅間が近くなっている。

おわりに

 青い森鉄道はJRから引き継いでから特に何も大きな変化もなく今日も走り続けている。青森~八戸という区間は平坦な土地でかつ、海沿い区間が大半である。三沢や野辺地、浅虫温泉など、有名な場所は少々あるが、観光地というような場所はない。また片道距離が長く意外と時間がかかるため、退屈するところでもあるが、ぜひ参考にして乗ってみてください。

運用解析コーナーで青い森鉄道の運用表も公開しています。

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TAIKI

乗り鉄から模型鉄、撮り鉄、時刻表鉄などなどなんでもやっています。飛行機も鉄道同様に大好きで、それらのことしか頭にない話ネタの尽きない人です。

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