概要
2005年4月に登場した元東急8000系である。2005年から2008年の3年間にわたって段階的に導入され、元JR東日本115系から改造された200系すべてと、2100系の2編成を置き換えた。登場当初は、4両編成(T1編成~)と2両編成(T11編成~)の2種類の電車があったが、いずれも3両(TA-1編成~)と3両(TB1編成~)に組み換えされ、共通運用化され現在に至っている。この8000系は東急時代から様々な形態があり、複雑であることが有名で、伊豆急行に転用された今でもそれらを全部ではないが見ることができる。
側面はステンレス板にコルゲートと呼ばれるギザギザのステンレス板が貼り付けられており、太めのものが1本に小さめのものが13本のコルゲートである。これは、劣化したときにステンレス板が波打たないようにするために貼り付けられたものである。この構造はのちに他社でも使われるようになったが、軽量化の時代が来てから使われなくなった。東急でも8500系を最後に使われなくなっている。デザインは東急7000系や7200系を基本としていて、丸井ヘッドライトに四角いテールライトで、上部に急行灯が設置されたデザインである。東急初の20m4ドア車体である。東急時代ではこのステンレス板の上からは特に塗装することもなく、赤色の帯が小さく張られた程度であったが、伊豆急転用時に帯が貼り付けられた。伊豆の海の色であるハワイアンブルーと、山の緑をイメージしたエメラルドグリーンの帯を引き、派手なデザインではあるが、きれいに見える。
東急8000系の特記すべき大きな特徴とは世界初のワンハンドルマスコン運転台を採用したことで有名である。ワンハンドルマスコンとは車でいうアクセルとブレーキを1つのハンドルで行えるようにした最新型技術であり、のちに登場する電車では当たり前の装備となる。伊豆急に転用になった現在も東急時代の運転台がそのまま採用されておりところどころに東急時代の車番が書いてある部品などがある。小さな部品は新しいものに交換されているため、運行番号表示はLED式に交換されていたり、編成番号が窓上に貼られていたりする。
東急時代は周りの通勤電車に劣らないようにするため、乗り入れする地下鉄との兼ね合いから、加速度が3.3に統一されていたが伊豆急に来てから2.1に抑えられている。伊豆急に転用されたときに連結器の交換やスカートの取り付け、3/4閉ドア装置の取り付けやワンマン対応工事など様々な改造を経ているが、見た目は原形をとどめており東急時代の8000系クオリティーたる面影を数多く見ることができる。
編成の変遷
2両編成はトイレが存在しなかったため、増結運用や短距離運用につくことが基本であった。MC1に関しては東急8000系にクモハが存在しないため、デハ8100のパンタグラフがない妻部に運転台を付けて先頭車化改造を行った。4両編成は200系の4両編成を置き換えた後3両編成を次々と置き換え、熱海~伊豆急下田を往復するメイン運用で活躍していた。またデハ8200にトイレがついており、8000系デビュー当初の編成表は以下の通りである。
8000系には更新車と未更新車があり、どちらもランダムに転用されたため、それらの痕跡のそのまま残っている。これについては後述することとする。
その後、東急で使い終わった8000系のうち、状態のいいものが優先的に転用されてきた。そのため、更新車が大半であり東急時代の1次車が転用されることはなかった。2006年に導入された2両編成のうちのクハ8000側において電装化工事が施されるようになり、先頭車にシングルアームパンタグラフが外向きに取り付けられた。電装化されたため番号が改番され、デハ8250を名乗るようになった。これに伴い、既存のT11、12編成にも同様の改造が施された。また、4両編成も新たに追加された。編成表は以下のとおりである。
ここで初めて、4両編成に未更新車が引き渡された。しかし、これが最初で最後であった。また、T3、T13編成の譲渡時から、前面に取り付けられているスカートが灰色からうすい灰色のものになった。なお、形は同じである。
続いて2007年にはさらに16両が譲渡された。譲渡された時の編成表は以下のとおりである。
なお、2007年に譲渡された車両は全車が2次車であるため、元更新車である。今回の導入をもって4両と2両での導入が最後となり、2008年度導入車からは3両編成での導入となる。それに伴い、既存の列車も編成組み換えとクハ8000の熱海方にトイレの増設工事をすることとなる。この組み換えにより編成番号の付与方法も変更され、TAタイプとTBタイプの2種類が登場することになった。なお、これにより、両数によって変動して複雑だった運用も3両編成に統一したことにより全車共通運用となり、どの編成とも増解結ができるようになっている。編成表は以下のとおりである。これが現在の姿であり、色付き枠は東急時代の車番である。
最後に追加された編成との兼ね合いもあり、車番末尾に統一性が少々なくなってしまった。このため、編成によっては更新車と未更新車が混載している。
伊豆急に譲渡されてからも8000系は細かな点で改造が行われていて、3両編成組み換え時に運行番号表示器がLED式のものに交換された。ただし、手動である。また、ドアチャイムに関しても2点チャイムが3点チャイムに変更された。特にそれ以外は変わった点はない。
東急の面影が残る部分
8000系は1993年前後から車内周りを中心とした室内更新が行われており、座席の張替え、仕切り板の取り付け、手すりの増設、壁紙の交換などが行われている。当初は全編成で更新をする予定であったが、コスト削減のため、一部編成に留まっている。この更新工事は7000系を7700系に改造した際の行進と同様な部分が多く、出来上がった車内は東急9000系と同様の車内となって言う。現在でもその面影を数多く見ることができる。なお、伊豆急に転用した車両は大半が元東横線車両でかつ、更新車である。今回はその判別点を紹介していく。
更新車か否かの判別点は東急時代から変わっておらず、化粧板の色と座席についている仕切り板と手すりの数、前面下部のアンチクライマーの形程度である。8000系は1次車が伊豆急に行くことはなかったが、それ以降のたくさんの次車数の車両が引き渡されており、いずれも東急時代からほとんどがそのままであるため、現在でも様々な形態の車両がみられる。詳細は後述。1つ1つ言葉で説明するときりがないため、写真で説明していくこととする。
伊豆急転用時に改造された部分
車内には海を眺めやすいようにクロスシートが取り付けられている。東急車ではクロスシートの採用例が9000系しかないため、西武のニューレッドアローの更新時に不要となった座席を取り付けている。なお、リクライニングは固定されていて使えない。さらに、近郊型列車という扱いであるため、車内の1か所にトイレが設置された。車体の端部分の窓ガラスを上からステンレス板で塞ぎ、そこに設置した。連結器や無線アンテナなどはJR伊東線に直通することからJRと同様のものに交換されている。
中間車を先頭化したデハ8150は、TA編成のみに存在する形式であるが、大きな構造は同じだが細かな点で通常の先頭車と相違している点が多い。急行灯が存在していないことが大きな特徴である。そのため、前面は何か物足りない雰囲気がある。また、貫通扉のドア枠の上部が丸みを帯びているものではなく、角張っている。これは東急時代は1次車にしかない特徴であり、とても希少な存在だった。貫通扉は廃車発生品などからの再利用のため、扉だけは古いが、先頭化したステンレス版は新規のもので、側面の車掌扉の後ろ部分にコルゲートがないことに違和感がある。このように様々な点で違いがある。ちなみに、東急が歴代行ってきた中間車の先頭化改造だが、貫通扉を設けたのは、この8000系が最初で最後である。
デハ8250型はTB編成飲みに存在する形式であるが、元クハ8000型から電装化の改造を受けている車両である。改造点は先頭にパンタグラフを設置するため、先頭部のクーラー1基を撤去し、小型冷房機とシングルアームパンタグラフを押し込んだ形となっている。また電動車のためクハ8000に廃車になった旧デハ8200の床下を移設しており、デハ8200も旧デハ8200の床下を旧デハ8100に移設して出来上がっている。
伊豆急に転用した際には、スカートが設置されているが、同時期に取り付けられていた東急9000系と同じものを取り付けている。また、伊豆急では時々、リバイバル8000系のイベントを幾度となく行っているが、この際は見栄えのため、必ずスカートが黒く塗られる。
編成ごとの差異
8000系は古い順ではなく東急から引退した順に譲渡されているため、番号が古くても車体は新しかったりする。更新車はいずれも元歌舞伎塗装車で、未更新編成は前面のみ赤帯で側面は帯なしの車両であった。
TA1編成(全車更新車)
元8011編成の1、7号車と8019編成の5号車から構成されている。8011編成の2両は1970年製の2次車で、元冷房ダミー車である。桜木町廃止と同時に東横線から引退した。デハ8138は元8037編成の4号車として登場し、東横線8両化の時に8019編成の5号車に組み込まれた1972年製の4次車である。デハ8150型の中間改造車の貫通ドアは8000系の1次車と同じ角ばったものになっている。また、急行灯がないなど、違和感が多い電車である。
TA2編成(デハ8151のみ未更新車)
元8029編成の1、7号車と8035編成の7号車から構成されている。8029編成の2両は1971年製の3次車で、桜木町廃止と同時に東横線から引退した。2両しかなかった8090系タイプの軽量ステンレス車を組み込んでいた唯一の更新車であった。デハ8155は東横線8両化の時に新製され、8035編成の7号車に組み込まれた1979年製の11次車で、さらに非軽量車の最終増備車であり8500系の車体構造と同一車両であるため、未更新車で側面の行先表示機が大きい。
TA3編成(全車更新車)
元8043編成の1、7号車と8021編成の3号車から構成されている。8043編成の1号車であるクハ8043は1974年製の5次車で、デハ8151は東横線8両化の時に新製された1978年製の10次車である。8031以降の編成で唯一の更新編成であった。この編成は田園都市線でデビューしたため、伊豆急に来た編成では数少ない新玉川線走行歴のある車両である。また、10次車に関しては数少ない車側灯の位置が違う車両である。デハ8121は元8021編成の3号車に組み込まれていた1971年製の3次車である。以上より、1編成内で全号車が別形態(別次車)を持っている数少ない編成でもある。
TA4編成(デハ8154のみ更新車)
元8037編成の1号車、8033編成の7号車、8021編成の7号車から構成されている。8037編成の1号車であるクハ8037は1972年製の4次車である。4次車以降は車内配電盤の位置と、先頭部分の雨どいの形状が先端まである細かな差異がみられる。デハ8153は東横線8両化の時に新製され、8033編成の7号車に組み込まれた1979年製の11次車で、非軽量車の最終増備車である。8500系使用であるため、側面行先表示機が大型化されている数少ない車両である。また、8033編成も8037編成も桜木町廃止と同時に東横線から引退した編成である。デハ8122は元8021編成の7号車に組み込まれていた1971年製の3次車である。以上より、1編成内で全号車が別形態(別次車)を持っている数少ない編成でもある。
TA5編成(全車更新車)
元8023編成の1、7号車と8025編成の7号車から構成されており、8023編成の2両は1971年製の3次車である。8000系の更新車で初めて更新した編成で、東横線引退まで行先表示器のうち側面が幕、前面がLEDと混載していた唯一の編成である。デハ8126は元8025編成の7号車に組み込まれていた1971年製の3次車である。以上より、1編成内で全号車が同形態(同次車)を持っている数少ない編成でもある。
TA6編成(全車更新車)
元8013編成の1、7号車と8032編成の7号車から構成されている。8013編成の2両は1970年製の2次車で、元冷房ダミー車である。元住吉駅高架化と同時に東横線から引退した。デハ8132は元8031編成の7号車に組み込まれていた1972年製の4次車である。2次車と4次車に特に大きな差異はないが、車端部配電盤の位置が変わっている。いずれも元更新車である。
TA7編成(デハ8152以外は更新車、デハ8152のみ元8500系)
元8015編成の1、7号車と8500系の8617編成の2号車から構成されている。8015編成の2両は1970年製の2次車で、元冷房ダミー車である。デハ8152は伊豆急に譲渡された唯一の8500系であると同時に、半蔵門線を走った唯一の車両である。8500系が伊豆急に譲渡された理由は、改造していた当時に8000系の種車が偶然いなかったためである。見た目から大きな違いはなく、8000系の7次車で1975年の新製車であり、未更新車と同一設計であるが、8500系であるため、側面行先表示機が大型化されている。
TA8編成(全車更新車)
元8019編成の1号車と8017編成の5、7号車から構成されている。8019編成は1970年製の2次車で、東急で最初の冷房車である。東横線では最後まで残った編成のうちの1つで、引退時にはヘッドマークを付けた。デハ8136は、1972年に4次車である8035編成の中間車として登場し、東横線8両化の時に8017編成に組み込まれた車両である。デハ8118は1970年製の2次車で、元冷房ダミー車である。
TB1編成(全車更新車)
元8011編成の3、8号車と8017編成の1号車から構成される編成である。いずれも2次車であり、元冷房ダミー車である。8011編成は桜木町廃止時に引退したが、8017編成は東横線8000系で最後まで東横線に残り「さよなら8000系」号として運転された。全号車が3次車で同じ形態で編成を組んでいる数少ない存在である。
TB2編成(デハ8251のみ未更新)
元8029編成の3、8号車と8035編成の1号車から構成される編成である。いずれの編成も桜木町廃止時に東横線から引退した編成である。8029編成の2両は1971年製の3次車である。この編成は2両しかなかった8090系タイプの軽量ステンレス車を組み込んでいた唯一の更新車であった。8035編成は1972年製の4次車である。こちらは未更新編成であった。ステンレス車両ライセンス国産化後の初車両で、車内にそのプレートが貼り付けてある。
TB3編成(全車更新車)
元8043編成の3、8号車と8021編成の1号車から構成される編成である。8043編成の8号車であるクハ8044は1974年製の5次車で、デハ8150は東横線8両化の時に新製された1978年製の10次車である。8031以降の編成で唯一の更新編成であった。この編成は田園都市線でデビューしたため、伊豆急に来た編成では数少ない新玉川線走行歴のある車両である。また、10次車に関しては数少ない車側灯の位置が違う車両である。デハ8253は元8021編成の1号車で、1971年製の3次車である。8000系の更新車で唯一前面と側面すべての行先表示機が幕式であった。旧幕であったため、「急行」を「急」と省略されているネタの多い編成であった。東横線では遅くまで残った編成ではあったが、車両故障で直されないまま残念な形で引退となってしまった編成である。以上より、1編成内で全号車が別形態(別次車)を持っている数少ない編成でもある。
TB4編成(全車未更新車)
元8033編成の1、8号車と8037編成の7号車で構成されている編成であり、唯一未更新車で3連を組んでいる編成である。中間車のデハ8104は元デハ8157で、1980年製の12-3次車である。このタイプは伊豆急に譲渡された唯一の軽量車で、細かい点で様々な差異がみられる興味深い車両である。まず屋根の付け根が他の車両のように角張っておらず丸みを帯びており、窓枠もユニットサッシ化されているため、外面の窓枠が少々角張っている。また方向幕も8500系使用が取り入れられているため、大型幕になっている。さらに車内では、つり革とつり棒の高さが少々低くなっている。両先頭車は1972年製の4次車である。4次車以降は車内配電盤の位置と、先頭部分の雨どいの形状が先端まである細かな差異がみられる。また未更新車のため、前面の足掛け部分の取り付け方が異なっており、ステンレス板2枚を敷いている形になっている(それ以前は1枚のみ)。総合的にとても東急らしさが残っている編成であり、東横線ではいずれも桜木町廃止時に引退した。
TB5編成(全車更新車)
元8025編成の3、8号車と8023編成の1号車から構成される編成であり、3両いずれも1971年製の3次車である。8025編成は3次車の更新車であるが2次車と全く区別がつかないほど特に特徴のなかった編成でもある。8023編成は8000系の更新車で初めて更新した編成で、東横線引退まで行先表示器のうち側面が幕、前面がLEDと混載していた唯一の編成である。引退まで東急の旧幕がみられた数少ない編成で、みなとみらい線開業後もそれは健在であり、興味深い編成であった。以上より、1編成内で全号車が同形態(同次車)を持っている数少ない編成でもある。
TB6編成(全車更新車)
元8013編成の3、8号車と8031編成の1号車から構成される編成である。8013編成の2両は1970年製の2次車で、元冷房ダミー車である。元住吉駅高架化と同時に東横線から引退した。8031編成は4次車で、雨どいの長さや配電盤の位置に差があったが、更新時に2次車に統一されてしまった。4次車唯一の更新車である。8031編成はみなとみらい線開業後数か月後に引退した。
TB7編成(デハ8252のみ未更新)
元8015編成の3、8号車と8049編成の1号車から構成される編成である。8015編成の2両は1970年製の2次車で、元冷房ダミー車である。元住吉駅高架化と同時に東横線から引退した。8049編成は、1974年製の5次車で、伊豆急に譲渡された編成のうち唯一、元大井町線用編成である。そのため東横線走行歴がなく田園都市線系統で生涯を終えた編成である。また、東急ではこどもの国線貸出や甲種輸送搬入などにも使われていた編成であり、優等列車での走行経験がない唯一の車両でもある。
おわりに
東急8000系はとても奥が深い電車で、様々な経歴があることにより、伊豆急8000系も様々な形態をもった車両がたくさんあり、とても奥深い形式となっています。8000系も登場から50年が経過し、半世紀以上もたくさんの客を乗せ、毎日走り続けてきた電車である。銀ギラのステンレスが光り輝く姿はいとても美しい姿であり、東急が生み出した名車のうちの1つでもあります。そんな電車ですが先は決して長くはないため、是非お時間があるときに乗りに行ってみてください。また、東急8000系は筆者本人が鉄道好きになったきっかけの電車であるため、東急時代から、幼いころから乗りつぶした形式でもあります。皆さんも乗る時はぜひ車内や車体を見渡してみてください。きっともっと細かい際に気が付くでしょう。